木には枝があります。ということは、その木を製材すると、その枝の部分には節が出ます。これはほとんど小学生でもわかる事です。その枝がちゃんと緑の葉を持っていれば、その枝は生きていますから、製材しても節は生き節です。ただ枝も良く枯れています。枯れたままの枝の部分を抱えたまま、その木が年輪を加え大きくなり、その木を製材するとその節の部分は、死節となり、指で押すと穴が開きます。
建築現場では、節のない木材を好んで使われます。それは大きな木の下の方の部分とかでわずかに取れるものです。「節はあってもいいから、生き節のものを使ってね」ともよく言われます。これがとても難しいのです。日本の杉の木も50年以上も経たないと、いっぱしの木材とは言えません。その間に枝打ち作業をすれば生きた枝を巻き込むように、木材は年輪を重ね節を隠します。その費用対効果があれば、今でも日本の山は隆々としてその営みを続けていると思います。ところがそうはいかない。となると、抜け節、死に節があるということを前提に、木材の使い方を考えなければいけません。
共栄木材では、随分前から、建築現場での乱尺使用をお願いしてきました。例えば4mの長さの木材の中に1ケ所直径2㎝位の抜け節が出ると、それは売りものになりません。ただ、あまりに勿体ない。私達がやっていることは商売だから、歩留の悪さによる利益率低下のこともありますが、材木屋として、たった1ケ所や2ケ所の小さな死節で、この板が使えないのは、長年育てた山、それを挽いてくれた製材に対して、申し訳ない気持ちになります。本当にもったいない。だから、その節の部分、抜けた部分だけを取り除いて使ってもらいたいと、お願いを続けているのです。もちろん、長いまま使った方がきれいし、抜けた節の部分は外した方がよりきれいになります。その美意識を否定もしません。ただ、自然に対しての折り合いの付け方が、若干わがままではないかと…
できれば、見えにくい部分にはその乱尺を進んで使ってもらい、更にはその乱尺さえも美しく見せるデザインを考えることが、僕らにできないものか、悩ましく考える昨今です。