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焼杉の国際化

いつの頃からか、僕の住んでいる愛媛県や瀬戸内海では、焼杉を外壁材で使われていました。45年くらい前に僕の父が焼杉を工場で生産することを思いつき、今思い出すと、とても稚拙な設備を作って、それまで現場でいちいち焼いて作っていた焼杉を大量生産することになりました。1975年の頃です。

当初、父が思っていた以上の反響で生産が追い付かないほどでしたが、他の地区にもうちが作った焼杉機を、作ってくれた鉄工所が全国に売りさばき、あっという間に強力なライバルが雨後の筍のごとく出てきてしまいました。その後しばらくは業界全体が過剰生産、薄さ競争で価格を下げるなかで厚みを守り続ける(=売価が高くなる)といった結構大変な時期でしたが、更にしばらくすると焼杉に替わってサイディングっていうものが住宅の外壁を席捲し始め、焼杉は衰退の時期を迎えました。

一方、日本を旅する世界の建築家には、この日本の黒い外壁材がとても美しいものに映ったようで、更に美しさだけでなく、杉を焼いただけという究極のプリミティブさが心を打ったようで、北欧にもアメリカにもそこにある板を焼いて外壁材を作るという事が、行われるようになりました。写真はフィンランドのHONKAというログハウスの会社の今年7月のカレンダーです。アメリカではDeltaMillworks という会社が作っています。今はタイでも、焼杉を使った割と大きなプロジェクトが動いています。時代は昔に戻ったわけではないですが、形を変えうちの焼杉も何とか生き残れています。

世の中に色々なものが無かった時代に、安くて、作りやすくて、比較的長持ちする、素材そのものの外壁板が、もしかしたら現在の世の中に求められるものの一つなのかもしれないと感じています。人間の欲望が高まるほどに、人間から離れていく<もの>を求めようとする。太陽や月で凡その時間を知ったり、空の色で天気をみたり、旬のものを旬な時だけに味わうとか、自分で作り育て収穫するとか、そういうことに通じるものが焼杉にはあるんでしょうか? そういう価値観に気づく人が増えてきているように思います。

焼杉の工場生産を始めた父は間もなく満88歳になりますが、今も工場に出てフォークリフトに乗って作業を手伝ってくれます。好きなだけ仕事をして、しんどくなったら事務所でコーヒーを飲んで新聞を読んでいますが、まあ、父も焼杉みないなオーガニックな人間です。うちの会社もこのオーガニックさは、いつまでも引き継ぎたいです。<地球になじんでいる材木屋さん>ですかね、ちょっとカッコよすぎますが…


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